校長メッセージ

 毎月発行の校報「きぶかわっこ」や、PTA広報誌「明るい学校」等に掲載した、校長からのメッセージです。学校や地域・家庭での生活で感じたことから、教育や子どもを育てることについて、考えていることをお伝えします。

 校長 早川 和彦

ライブハウス【令和5年度 校報第7号】11月6日

 秋が深まると、なぜか音楽が恋しくなります。
 「ベースを弾いてみよう。」
 クローゼットからケースを引っ張り出します。表側のポケットをがさごそと探すと、セットリスト(曲順の書いた紙)が見つかりました。懐かしい。友人の筆跡です。
 せっせとデモテープを作っては、ライブハウスに売り込みに行っていた頃を思い出しました。学生でしたので、学園祭や定期的な演奏会など、機会は幾度となくあるのですが、やっぱり街中の「ライブハウス」に出てみたい!ライブハウスを、お客さんでいっぱいにしているバンドを目の当たりにして、かっこよくて仕方がなかったのです。
 そしてとうとう、ボク達にも出番がやってきました。たまたま、アマチュアを育てようとしているマスターの目に留まったようです。暗がりの中、演奏に必死でお客さんの反応を感じ取る余裕はなかったのですが、なぜか「ギャラ」だけは、はっきりと覚えています。
 150円。売り上げたチケットから、機材の借用代を引いて600円。それをメンバーで割るのです。その後、何度がライブハウスに出る機会はあったのですが、なぜかこの時のギャラだけは、未だに忘れずにいます。もちろん、「反省会」で一瞬に消えていきましたが…。
 京都・鴨川と高瀬川に間に佇むライブハウス。久しぶりに行ってみようかな。

巣立ち【令和5年度 校報第6号】10月5日

 「いつの間に、いなくなったのだろう。」
 定かではありません。ついこの前まで、いたはずなのに…。職員玄関の頭上に、その巣があるので中をうかがい知ることはできないのです。コシアカツバメです。
 6月中旬、親鳥はせっせと何かを運んでいました。ヒナを迎え入れるために、巣の修復をしていたようです。7月。時折、顔をのぞかせるヒナは、実にかわいい。大きな口を開けて、一生懸命エサを求めています。親鳥は、何往復もしているようです。8月。見かけなくなったので、空になった巣を写真に収めようとしたのですが、巣穴からちらっと顔が見えました。       
 「ひょっとして、ずっといてくれるのかな?」
 そして、9月。足元に敷いてある新聞紙に、ふんが落ちてこなくなりました。とうとう、海を渡り南の国へ向かったようです。
 「そうか、旅立ったんだ。」嬉しいような、でもちょっと寂しい気持ちです。
 さて、子どもが巣立つこと、旅立つこと。どうしても卒業や進学・進級など、人生の節目に考えてしまいます。
 いや、ちょっと待てよ。子どもは、いつも間にか…知らない間に、巣立っているのかもしれませんね。私は、気付けているのかな。そんなことを、厳しい暑さが残る、この秋に考えました。

2023年6月中旬 貴生川小学校職員玄関

GRIT(グリット)【令和5年度 校報第5号】9月1日

 とうとう日が暮れて、懐中電灯の出番となりました。
 私は、砂場を照らす係です。「砂鉄」が砂場から採取できることを知り、子どもと近くの公園に向かったのは、数時間前。根気があるというか何というか…。磁石にくっつく砂鉄が面白くて仕方がないようです。こんなこともありました。
 「私の寝る場所がない!」
 布団を敷く場所が、占領されているのです。あの、青いプラスチック製の線路にです。電車の模型をより長く、面白く走らせるためには広い場所が必要なのです。時には踏切や十字路、車庫のようなしかけがあり、何を思ったのか、走路には積み木で高低差をつけています。線路を交差させる試行錯誤中ということで、私も続きが楽しみになりました。結局、その日はソファーで寝ました。
 「もうやめようよ、遅いから。」「早く片づけて。」…言いたい言葉はいくらでもありそうです。
 「これだけ、砂鉄ってあるんやな。」「すごい集中力。」「次の線路が楽しみやな。」かける言葉と伝えたい気持ちが、大切かな…と考えます。子どもの「とことん」に付き合うこと。思う存分やらせてみること。そして、見守ること。その積み重ねが、子どものやり遂げる力を育むのでは…と、試行錯誤の毎日でした。
 何はともあれ、我々大人には、子どもに向けるまなざしに余裕が必要ですね。

伝えていきたいこと【PTA広報誌】7月19日

 今年も登山に行ってきました。4年庚申山と、6年飯道山です。下見を含めると、4回登ったことになります。
 山で学ぶことは、たくさんあります。高い所から街並みを眺めること、小鳥のさえずりに耳を澄ますこと、山のにおいを感じること…。苦しいことを克服すること。そして、仲間を大切にすること。
 「ここ、気をつけて。」次々と後方に伝わってきました。そういえば、高校時代に山に登っていた頃、どんな小さな石ころでも、斜面を転がると「ラク!」と伝えていたことを思い出しました。安全のために、次の人、周りの人に伝えていくのです。
 「もうちょっと。頑張って!」「あと少し。」と仲間を励ます声も聞こえてきます。きぶかわっこの温かみを感じます。相手を気遣う気持ちを伝えているんだな、と考えながら最後尾を歩きました。
 さて、我々大人が、子どもたちへ伝えたいこと、伝えるべきこと。そして、次の世代に残していきたいことは、何でしょう。
 確かな知識や文化、伝統など。もちろん貴生川のよさ。そして、相手を想う気持ちの尊さを伝えていきたいと思う、今日この頃です。

 2023年4月22日 庚申山 山頂より(下見時)

一日の始まり【令和5年度 校報第4号】7月4日

 「先生、あと一人いるよ。」

 と、その子は私に声をかけて昇降口の方へ向かいました。ある朝のことです。
 体育館近くの入り口に立っていると、あとどれくらいの班や子どもがいるのか、プールが陰になっているのでよくわからないのです。学校に着く時間帯は、だいたい決まっているので、「この班が来たらおしまいだな。」と推測はしますが、定かではありません。
 「最後の子が通り過ぎるまで、待っているんだよ。」と伝えたことはないのですが…。その一言、すごくあたたかい気持ちになりました。
 私の考えていることを察してくれたのです。何気ない一言だったかもしれませんが、相手を想うその気持ちに、ほっこりとしました。
 そんなことばを、届けられる人でいたいですね。素敵な一日の始まりになりました。

思い出す風景【令和5年度 校報第3号】6月6日

 車を降りて、家に帰ろうとした時のことです。昨日までとは明らかに、辺りの様子が違うことに気がつきました。
 「そうか、田んぼに水が入ったんだな。」カエルの大合唱が聞こえるのです。
 子どもとカエルを探しに行ったことを思い出しました。蓋のついた小さな飼育ケースに、少しだけ水を入れます。虫とり網も必要です。あぜ道をそーっと歩きながら、足を忍ばせます。慣れてくると、飛び跳ねるカエルの進路を予想して捕まえていきました。
 すぐにケースはいっぱいになりました。子どもは、入れ物の中を飛び跳ねる無数のカエルを眺めながら、意気揚々と自宅へ戻っていくではありませんか。さて、どうしたものか。カエルの餌は何だっけ?この環境、大丈夫かな。と、心配はつきません。何とか、田んぼに返そうと説得を試みるのですが、なかなかうまくいきません。
 結局、子どもの意見を受け入れて、我が家で一晩過ごしてもらうことに落ち着きました。どうか、一晩元気で過ごしてくれますように…
 夜中のことです。カエルの鳴き声で目が覚めました。網戸越しに聞こえる声でなく、やけに大音量です。一匹が鳴き始めると、それにつられて大合唱です。「何て言っているのかな。」そんなことを考えながら、朝を待ちました。
 翌朝のこと。カエルたちは…全員元気です!子どもも安心したようです。
 「お友だちのところに、帰りたいって言ってたね。」と、私。コクリとうなずき、一緒に田んぼへ向かいました。田んぼに水が張られる頃になると、思い出す風景です。

タンポポ【令和5年度 校報第2号】5月8日

 4月下旬、寒さがぶり返した朝のことです。
 「手に持っているものは、何だろう。」
 タンポポの茎のようです。先は白くて、丸い形をしています。その子は、私の前を通り過ぎるタイミングで、「ふっ」と息を吹きかけました。そして、ふわふわっと空に向かって飛んでいきました。
 「あれ。綿毛の季節は今だっけ?」なんとなく春先のイメージがあり、つくしやふきのとうと同じ頃だと思い込んでいたので、不思議な気持ちになりました。「朝のあいさつ」の後、校長室に戻り、ネットで検索します。そうか、この時期でよかったんだ。おまけに、種ができるまでの経過やタンポポの花言葉なんか、すぐに調べられます。この時代、すごく便利だな。
 午後になり、気になって校舎の周りを歩いてみました。こんなに、タンポポってあったんだ!2日に一度は通るはずの体育館の裏側など、あちらこちらに、綿毛を飛ばす準備ができているのです。
 見ているようで、見えていなかった景色。気づいているようで、気づけなかった物事。そんなこと、他にもあるかもしれませんね。一人の子どもに気づかせてもらいました。
 来年は、どこで花を咲かせるのでしょうか…

2023年4月下旬 体育館近くの土手にて

桜【令和5年度 校報第1号】4月10日

 「サクラの木って、こんなにたくさんあったんだな。」
 例年より早く、ソメイヨシノが満開になりました。子どもの頃は、あまり気に留めませんでいたが、年齢を重ねるごとに、なぜか桜の開花が気になります。
 いつもより早く帰宅の途につき、思う存分サクラを楽しむことにしました。どの道を通ろうか、どこの河原に向かおうか、思案します。「あそこは、ライトアップしていたっけ。」など、車中で独りごちます。明日も、このまま咲き誇っているだろうか。週末までもつかな。はらはらと散る花びらを眺めながら、年に一度の美しさに浸りました。
 この感動を誰かと共有したいな。写真に残すことはできるけれど、今、この景色を見て思ったこと、感じたことを誰かに伝えたいな…そんなことを考えながら、車を走らせました。
 そうこうしているうちに、自宅に着きました。
 「桜を見に行こう!」
 ついさっき通った道に、再び向かいます。そんな、春のひと時を過ごしました。

将来の夢、そしてなりたい自分に【卒業文集】3月31日

 小学生の頃は野球選手だったかもしれません。
 その後、電車の車掌の時期もありました。ホテルマンにあこがれたり、ミュージシャンを夢見たりしたこともあったかな。私のことです。
 なりたい自分をイメージし、努力すること、勉強すること、練習することは、必要であり大事なことだと思います。勝ちたい、強くなりたい、認められたい…これが原動力となり、必死になること、前に進むこと。これも素晴らしい。
 どのような仕事に就くかということは、もちろん大事なことです。そして、どのような人になりたいかを考えることは、更に重要だと思います。
 詳しいことは忘れましたが、学生時代につらい出来事があった時のことです。気がついたら友人の家に行っていました。夜更けだったと思います。友人の顔を見るなり、涙があふれてきました。「話を聞いてもらおう!」と意気込んでいたわけでも無いし、慰めてもらおうとも思っていませんでした。ただ、その友人の顔を見たくなったのです。後になって気付いたのですが、友人は何か予定があったかもしれないし、突然の訪問者に戸惑っていたかもしれません。黙ってそばにいてくれた友人に感謝しています。
 そして今、自分自身を、飯道山を見上げながら考えます。
 はたして、夜更けに私を訪れてくれる人はいるのだろうか。嬉しいことがあった時は一緒に喜び、悲しいことがあった時は、一緒に悲しみを感じる。そんな優しい人になりたい。信じたことをやり抜く、そんな強い人でいたい。友人に何か、困ったことがあった時、一緒に寄り添う人でありたい。そんなことを考えています。まだまだ、やるべきことはあるかもしれません。
 令和5年3月、貴生川小学校を巣立つ102名の卒業生の皆さん。様々な分野でのご活躍、そしてなりたい自分になることを陰ながら応援しています。

伝えたい 想い【PTA広報誌】3月16日

 音楽会のあと、皆さんの前で話をさせていただく機会がありました。「いろいろなアーティストがこの曲を歌っているけど、皆さんの歌声は本当に素晴らしい。聴いている人を感動させる力がある。」そんな感想を述べました。
 なぜだろう。数か月経っても、この気持ちは変わりません。ビデオを見返したわけではないのですが、今も皆さんの歌声や演奏に心を打たれているのです。メロディラインの美しさや紡がれた歌詞一つひとつの素晴らしさ、音楽や担任の先生にたくさん教わったこともあるでしょう。それだけでなく、きっと、卒業する皆さんに届けたい想いがあったからではないでしょうか。音楽は、その場で流れて消えていくように見えますが、じんわりといつまでも残るものなのだと改めて感じました。
 10年後や20年後…、再び聴くこと、歌うことがあるかもしれません。メロディや歌詞は変わりませんが、おそらくその時々に見えてくる風景や想いは違ってくるでしょう。
 貴生川小学校、六年生の秋。あなたたちが表現してくれた「そのすべてにありがとう」。人生の節目だけでなく、そんな想いを周りの人に伝えていってほしいと願っています。
 ご卒業おめでとう。

約束【令和4年度 校報第11号】3月7日

 「先生、練習進んでる?」
 ドキッとすることばです。「先生、なんで校長先生になろうと思ったの?」と同じくらいドキッとします。「まあ、ぼちぼちな。」と歯切れが悪い返事をしてしまいます。よく覚えてくれているなあと感心すると同時に、「このままではまずい。」と、焦る気持ちを抱えていました。ここ数か月です。
 というのも、4月の始業式で、私はこんな話をしたからです。
 「やりたいこと、目標を作りましょう。『今年は、これをやってみたい!』と、何か一つでもいいから、目標をつくり繰り返し努力することです。先生も一つは決めました。ピアノで1曲弾けるようになることです。実は、貴生川小学校へ来ることが決まって、練習を始めました。もちろん上手ではありません。目標は、6年生を送る会です。先生の腕前が上達するかどうか分かりませんが、聴いてもらえるように努力します。」
 確かに言いました。私は、子どもが小さい頃よくした「ゆびきりげんまん」を思い出しました。どんな小さなことであっても、必ず「約束」を守る。子どもはそんな大人を信頼していくのだと思います。
 私の楽譜には、赤ペンで「ド・ファ#」などといったカタカナが書いてあります。「ここは一緒」など、自分にしか分からない書き込みもあります。この楽譜は、見られると実に恥ずかしい。途中で間違って止まると、頭が真っ白になることも。指づかいは、たぶん…間違っているでしょう。

 ただ、井上陽水さんの「少年時代」を通して伝えたい気持ちは、楽譜の赤ペンではなく、鍵盤に込められたかなと思っています。

雪だるま【令和4年度 校報第10号】2月3日

 雪を待ち遠しく感じていました。子どもの頃です。
 雪が降ると、雪だるまを作ろうか、それともかまくらを作ってみようかと、思案します。もちろん雪合戦をしたり、土手を滑り降りたりと遊ぶことはいくらでもありました。
 先日の強い寒波のことです。待ち遠しかった雪ではなく、「本当に降るのか…」と心配な気持ちでした。そして、降雪量や道路事情が気になる数日間を過ごしたところです。
 さて、大雪の降った週末のこと。道路はアスファルトが顔をのぞかせた頃です。大小の雪の塊があちらこちらに見えました。傍らには、棒が落ちています。そう、「雪だるま」です。石ころで目や口を付けてもらっている雪だるま。中にはバケツの帽子をかぶっている雪だるまも。日差しを受け、名残惜しそうにたたずんでいるのです。そんな雪だるまを見ると、いろんな風景がよみがえります。あの大きな塊をどうやって転がしたのだろう。指先は冷たかったかな。など、ついこの前のように、雪だるまやかまくらを真剣に作っていたことを思い出しました。
 やがて、融ける雪だるま。たとえ消えてなくなっても、冷たい雪を感じたこと、雪で思いっきり遊んだこと、遊んでもらったことは、いつまでも心に残るだろうな…と改めて感じました。寒さ厳しい折、ほっこりした気分になりました。

2023年1月28日 滋賀県栗東市にて

ウサギの餅つき【令和4年度 校報第9号】1月10日

 何とか間に合いました。
 欠け始めは、貴生川小学校の玄関を出たところで見ました。スマートフォンをかざしてシャッターを押しますが、輪郭がぼやけてしまいます。少し雲がかかってしばし休憩となりました。
 そう、今日は皆既月食と惑星食の日です。天体に詳しくはないのですが、ネットのニュースの多さやテレビの特別番組があることを知ると、それだけすごいことなのか…とワクワクしてきました。
 そうこうしているうちに、皆既月食は始まりました。と同時に、自宅から「天体望遠鏡がセットできた。すごく綺麗に見える。」とのメッセージがありました。そこで本日は、家路につくことにしたのです。
 サンタさんからのプレゼントと、10年以上振りに再会しました。ファインダー越しに見る暗闇は、いつもと違います。姿を現し始めた月は、どこか荘厳で神秘的です。そして、いろいろな風景がよみがえってきます。一緒に、望遠鏡を組み立てたこと。十五夜には、階段に腰をかけて、お団子を食べながら「ウサギの餅つき」を探したこと。星の輝きを、只々眺めていたこと。
 どうやらアルバイトの前に、ちらっとこの月を見たらしい。遠く離れていても、同じ月を眺めていることを今更ながら発見しました。秋の深まりを感じ始めた満月の夜、そんなことを考えていました。

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2022年11月8日 貴生川小学校にて

温もり【令和4年度 校報第8号】12月5日

 家に帰ると「トン」と音がしました。
 どうやら今日は、冷蔵庫の天板に上って待っていたらしい。玄関で私の顔をちらっと見て、リビングの定位置に向かいます。
 「彼女」とは、貴生川に住んでいた当時、偶然出会いました。毎日やってくるので、家族の一員として迎え入れることにしたのです。ソファーに腰をおろすと、跳んでやってきて膝に乗ります。お腹がすくと、私に向かって催促します。「待っていてくれて、ありがとう。」温もりが恋しい季節になると、布団にもぐり込んできます。実に温かい。そんな暮らしを、7年ほど繰り返しています。
 今日一日、どんなことがあったのかな。何か聞いてほしい、分かってほしい、気づいてほしいことがあるのかな。それともただ、寄り添ってほしいだけなのでしょうか。そんなことを思ったりします。
 「ところで、今日はどんな日だった?」
 思い切って、彼女に聞いてみます。
 「ニャア!」
 いつもと同じ声色です。私に、嬉しいことがあった日も、考えごとをしている日も…。どんな日も同じ心もちで迎えてもらうことに安心し、温もりを感じています。
 待っているのは、彼女ではなく、私なのかもしれませんね。

栄光の架け橋【令和4年度 校報第7号】11月4日

 校長室に音楽やマイクの声が届いてきました。
 体育館での練習が進み、子どもたちが運動場へやってきたのです。今、やっている仕事はひとまず置いておいて…。足が窓際、いや運動場へ向かいます。
 担任や体育主任をしていた頃を思い出します。体育館や運動場の割り当てと練習の進み具合、そして天気予報とにらめっこしていました。ダンスは間違いなく覚えてくれるかな。縦と横の列がきちんと揃うかな。このやり方でいいのだろうか。「ウェーブ」はちゃんと波に見えるかな。気にしたらきりがありませんでした。
 そして本番。休んでいて満足に練習ができなかった子も、練習では今一つ気持ちが乗らなかった子も、一生懸命なのです。少々の失敗や列の乱れは気になりません。エンディング曲「栄光の架け橋」に合わせて、満足そうな表情で戻ってくる姿を見て、安堵と嬉しさが込みあげてきました。心配をよそに、子どもたちはやってくれるのです。
 さて、今年の運動会。雲一つない、青空でした。
 リレーのスタートを待つ静寂。友だちを応援する気持ち。衣装を身に着け、かっこよく踊る姿。しかも指先までピンと伸びています。縄跳びでひっかかっても何度もやり直す姿。リズムに合わせ踊ったりジャンプをしたりと。何より、笑顔いっぱいで楽しそうに演技をする姿を見て、私も心が躍りました。
 思いとバトンがつながった…と、「きぶかわっこ」を誇らしく思いました。子どもを信じること。今年の運動会で改めて感じました。

紙飛行機【令和4年度 校報第6号】10月3日

 先日、長年聴き続けているアーティストのライブに行ってきました。今はやりのシティ・ポップの重鎮です。
 私は、どちらかと言えば踊って聴くよりも、座ってじっくりと聴く方がしっくりきます。アンコールの1曲目は、歌詞に合わせて紙飛行機を飛ばすことが通例なのですが、昨今の状況により、残念ながら紙飛行機は飛ばせませんでした。でも、私の眼には、たくさんの紙飛行機が舞っているように見えました。
 ところでみなさんは、音楽を聴いて鳥肌がたったことはありませんか。
 そう、あの首筋がゾクッとする感覚です。イヤホン越しに音楽を聴いている時、突然ゾクッとすることもあれば、自分がベースを弾いている時、隣にいるギターとばっちりフレーズがあった瞬間なんかもあります。音楽って不思議です。
 小学校の教員になってから、他の教員に授業を担当してもらう機会があっても、「音楽は自分がやります!」となぜか頑張っていました。私は、楽譜をすらすら読めないし、専門的な知識はないのですが…。
 音楽を奏でることはすごく楽しいことだし、音楽には聴いている人、相手を感動させる力があるんだ。そんなことを、子どもたちに伝えようとしていたのかもしれません。
 音楽って…いいですね。

No End Summer【令和4年度 校報第5号】8月29日

 夏の終わりの小さなできごとです。
 子どもにバス釣りに連れて行ってもらいました。私は助手席です。
 草をかき分け、川原にたどり着きました。そのまま川を2つ渡るとのことです。ゆっくりと浅瀬を進んでは、時折振り向いて私たちの安全を確認してくれていました。
 ほどなくして目的地へ到着しました。「電車結び」という、私にはできない結び方を駆使し、仕掛けを準備してくれています。そして、ロッド(竿)を手渡されました。「向こう岸から数十センチ手前へ投げて。」と。なかなか、あたりがないことを伝えると、場所を変わってくれました。
 そんな様子を見ていた、妻がひとこと。
 「十…年前、してあげたことをしてもらっているよ。」
 もちろん、見返りを期待していたわけではありません。ただ、子どもがその時にしてほしいだろうな、と思うことを繰り返す毎日でした。それがよかったのかどうか、今も分かりません。
 改めて、佐々木正美先生(児童精神科医)の著書「子どもへのまなざし」を読み返しました。過剰な干渉は、子どもの自立心や自主性をなくしまうことでしょう。望むことを満たしてあげる気持ちで子どもと接することは、人との基本的な信頼関係を結ぶ礎となると思っています。
 自分がしてもらったことを、友人に、隣人に、そして次の世代へつながっていくことを願うばかりです。一匹も釣れませんでしたが、何だか嬉しい休日でした。

 kawara

届けたい 想い【PTA広報誌】7月15日

 「おはようございます。」
 朝出会ったら、まず自分から届けたいことばです。朝、校門付近やプール側と日替わりで子どもたちを迎えています。大きな声で「おはようございます」と言ってくれる子や会釈を返してくれる子がいると、私も安心するし気持ちが良いものです。
 私は、子どもより身長が高いので、極力腰を折り曲げて目線を合わせているのですが、待っている時、腰をトントンしているのはそのためです。中には立ち止まってお辞儀をして「おはよう」と返してくれる子もいて恐縮するほどです。口元で感情を表現しづらい、読み取りにくい昨今ですが、マスクの下では精一杯微笑んでいます。
 日常生活でのあいさつ。「おきばりやす」「おまいりやす」こんなことばも子どもの頃よく聞きました。あいさつは、人間関係を深めていく第一歩、きかっけとなるものだとつくづく考えています。
 さて、あいさつの次は。昨日は、○○ありがとう。この前は、お世話になりました。あの時は、ごめんやったで…など。その人について、想いをめぐらせること、思いやること、大切にすること。そんなことばを届けられるように、私自身なりたいものです。

カブトムシの季節【令和4年度 校報第4号】6月30日

 夏が近づくとワクワクしてきます。
 クワガタやカブトムシの季節がやってくるからです。クヌギやコナラの木があると、出会えるかどうかワクワクします。今でもです。
 先日、まだ少し早いかと思いながらふと木を見上げると、クワガタ!ではなく「ヤゴ」の抜け殻を発見しました。川底にいるヤゴはよく見かけたし、家で飼ったこともあります。初めて見るヤゴの抜け殻に感動です。
 さて、文部科学省が委託した調査で、令和2年度「青少年の体験活動の推進に関する調査研究」という報告を目にしました。小学生の頃に行った体験活動などの経験は、長期間経過しても、その後の成長に良い影響を与えている、との報告です。また、体験活動や読書・遊ぶこと・お手伝いなど、1つの経験だけでなく、多様な経験をすることが必要であるとも言われています。私もそのように感じています。
 夜釣りの後、朝日が水平線から昇るところを見た経験。セミが羽化した時の白い羽やカブトムシの小さな卵に出会ったこと…。どのような良い影響があったのかは分かりませんが、貴重な体験であったことは確かです。
 夏本番。
 今すぐ、何らかの結果が出るとは限りません。「成果」を期待しての体験活動ではなく、夏だからこそできる経験や体験に、ただただ子どもとともに没頭したいですね。

2022年6月12日 滋賀県栗東市にて

山に登ること【令和4年度 校報第3号】6月7日

 登山に行ってきました。
 校長は、最後尾です。トランシーバーから随時報告があるので、先頭が今どのあたりを登っているのかは、何となく分かります。出発した頃は軽い足取りですが、山道に入ると、蒸し暑さ、背中を伝わる汗が気になり始めました。最後尾を歩く子どもも、「あと何分?」「あと、どれくらい。」と気になります。
 ふと耳を澄ますと、鳥の鳴き声が聞こえました。何という鳥だろう。川のせせらぎ・沢の音も聞こえてきます。いつも聞いているはずの鳥の鳴き声や川の流れ。普段は気に留めていませんでした。
 山の匂い。少し湿っぽいというか、でも透き通るようなあの山の匂いです。最近、外に出るときは、匂いを感じない生活をしていました。
 頂上から見る景色。高いところから眺める貴生川学区や甲賀市。遠くに連なる鈴鹿山系。人の姿こそ見えませんが。そこには何万人、何十万人という人の暮らしがあります。言葉にするのは簡単ですが、「俯瞰する」という言葉はこの場面からきているのでしょうか。
 自分のペースで登ること。一歩一歩前に進むこと。苦しいことを克服すること。道中、普段気に留めていなかったことに気づくこと。久しぶりに山に登り、登山にはたくさんの意義があることを思い出しました。実は高校時代、山岳班(部ではなく班という)でした。
 「もうちょっと。頑張って!」「ここ、足気をつけて。」と、あちらこちらから声が聞こえてきました。6年生の飯道山です。「最後尾」が到着した瞬間、拍手が沸き起りました。4年生の庚申山です。そんな、きぶかわっこの優しさに出会いました。
 素敵な登山になりました。

キャッチボール 【令和4年度 校報第2号】5月8日

 連休中にキャッチボールをされたご家庭もおありかと思います。
 私がまず始めに子どもに与えたのは、プラスチックのボールにビニール製のグローブでした。二人の距離は手が届くほどです。少し距離が伸びた頃、革のグローブに変わりました。週に1回ほどですが、休日の日課になりました。いや、楽しみになりました。
 私はキャッチャー役になりました。打者がいると見立てカウントをとります。三振が続く日もあれば、コントロールが乱れる日もあります。そして、球は速くなっていきました。正直言って手のひらはジンジンしています。そんな手を眺め、子どもの成長を感じていました。キャッチボールをしながら会話をする日もあれば、黙って球の重みを感じる日もあります。
 キャッチボール。投力や体力の向上に果たした役割は大きいでしょう。今は、テニスをしているようですが、中高はサッカーに夢中でした。
 さて、私にとってのキャッチボール。子どもとのコミュニケーションだったかなと感じています。何だか落ち込んでいる日、かける言葉を探しあぐねている時、「キャッチボールをしよう!」と声を掛けました。ただそれだけでした。黙ってついてくる子どもと始めたキャッチボール。どんな会話を交わしたのか、その日はどんな球だったのかは正直覚えていません。ただ、ボールを受け止めること、子どもを「受け止める」ことに必死だったかもしれません。
 使い込んだグローブは、子どもが下宿へ持って行きました。
 新緑の中、野球をしている光景を見ると、時折思い出す今日この頃です。

イントロダクション 【令和4年度 校報第1号】4月8日

 4月1日、貴生川小学校へ着任しました。この原稿を書いている本日、杣川の堤防の桜が、満開になろうとしています。貴生川小学校に勤めさせていただくこととなり、本当に嬉しく思うと同時に、責任の重さをひしと感じて、この数日を過ごしています。
 子どもの頃は柏木小学校で過ごしました。家のそばを流れる川には、メダカやフナが泳いでいた時代です。時間があれば、海に釣りに行きたいのですがなかなか行けていない状況です。学生時代は、バンドに明け暮れる日々でした。学校へ勤務することが決まり、ピアノの練習を再開したのですが、いつ「披露」できることになることやら…(私の腕前を)心配しています。
 きぶかわっこの「笑顔」が広がるよう、努力してまいります。皆様方の、ご支援をよろしくお願い申しあげます。