そうだったのか!最後まで残った木造校舎

 

 現在の鉄筋コンクリートの校舎ができたのは、昭和49年(1974年)です。当然ですがその工事の時に旧の木造校舎は解体されました。しかし、解体されなかった校舎が一部あります。それが、校舎北の踏切の近くにある現在の木造校舎です。
 今でも郷土の資料館として活用していますが、徐々に老朽化してきています。もう少し前は、PTAの会議やスポーツ少年団の会議にも盛んに使われていました。
 今では、油日小学校の敷地内で一番古い校舎ですが、木造校舎時代は一番新しい校舎でした。記録によりますと明治41年(1908年)に小学校に併設された裁縫学校の校舎として増設され、畳の部屋になっていました。裁縫学校は後に実業補習校に改められます。
 どうしてこの校舎が最後まで残ったのか真相はわかりません。しかし、地域の人々にとっては、この校舎はその傍を通られるとき、自分がこの油日小学校で学んだ往時を偲ばせる存在となっているのではないでしょうか。

 追記
 この資料館は、老朽化に伴い平成28年度中に解体されることになりました。
 中に保存されていた資料のうち、木挽き関係や売薬関係などの貴重な資料は市の歴史民俗資料館に移管されました。他の資料については、校舎3階に新たに資料室を作り保管・展示し、子どもたちの学習に活用します。

市の歴史民俗資料館に移管された貴重な資料の一部です。
売薬関係資料

  木挽き関係

 ひな人形