私たちの住む滋賀県は四方を山に囲まれ、中央に日本一の広さの湖、びわ湖があります。
さて、このびわ湖は、最初からこの場所にあったのでしょうか。ちょっと信じられない話ですが、びわ湖の誕生は、今の伊賀市のあたりで、古びわ湖と呼ばれています。その後、湖は長い年月を経て、北西に移動し、今のびわ湖に到達しました。
年代別にびわ湖があった場所は順に次のような所がほぼ定説となっています。
1.大山田湖(現在の伊賀市)の時代:約400~300万年前
2.阿山・甲賀湖の時代:約300~250万年前
3.蒲生湖沼の時代:約250~180万年前
4.堅田湖(ほぼ現在の位置)約100~40万年
地殻変動などが原因でこのように移動していったと推測されています。油日学区も約300~250万年前はびわ湖の底にあったのです。
確かに滋賀県の各峠(県境)の道は、だいたいが標高の高い所に位置していますが、伊賀市で用事があって、油日に帰るのに阿山から第三小学校の近くの峠や柘植から余野公園を通るルートですとなだらかな丘、あるいは平地を通過していることに気づき、なるほど、ここをびわ湖が移動していったのかと実感できます。
伊賀市阿山より滋賀県との県境を望む (山の向こうが甲賀市 なだらかな丘陵)
なぜ、びわ湖が移動していたことがわかるのかというと、先ほど述べた地形、さらに地質、各地層から発見される化石等の研究から、次第に明らかになってきたからなのです。
オクヤマドブガイの化石 (佐山学区出土)
油日学区も含め旧甲賀町各地からもびわ湖の底に生息していた貝(写真)や周辺に生えていた木の葉っぱの化石が発見されています。油日もその昔(大昔ですが)びわ湖の底でたくさんの水生生物が生息していたことを考えるとロマンを感じますね。さらに付け加えますとこの地方のおいしいお米、近江米が収穫ができるのは、びわ湖の底に堆積した粘土の層(甲賀地方では「ずにんこ」と呼ばれています。)が、稲作に最適だからです。
これを機会にもっとびわ湖の歴史と油日の関係に興味を持ち、いろいろ調べてみるのもおもしろいと思いますよ。
※参考資料
琵琶湖自然史研究会 著
「琵琶湖の自然史」
八坂書房 1994年
左と右の地層の角度の明らかな違いに注目してください。
激しい地殻変動の跡、こういったことも一因となりびわ湖は北西方向に移動
(甲南第一学区の地層)