昭和20年の油日小学校(沿革史より)

そうだったのか油日第4弾

昭和20年の油日小学校(沿革史より)

 昨年(平成28年)、アニメ映画の「君の名は」が大ブームを巻き起こしましたが、    それとは少し遅れて、ひそかにブームなった、これもアニメ映画「この世界の片隅に」
があるのをご存じでしょうか。どちらもご覧になった方もおありだと思います。
 今回はこの「この世界の片隅に」と油日小学校(油日学区)をつなぐお話をします。
 「この世界の片隅に」は、主人公、浦野すず(絵を描くのが好きな少女)の目を通し
て、広島県呉市、広島市を舞台に戦中、終戦直後の世の中のあまりにも激しく変わりゆ
く社会の姿を映し出しています。戦争という極限状態の中でも力強く生きようとする主
人公が描かれています。
   ラストシーンで、すずは焦土となった広島市内で、それでもこの世界で自分を見つけ
てくれた呉の夫(周作)に感謝するのです。(あまり話すとネタバレになるのでここま
でにします。)
 さて、今年も終戦記念日8月15日が訪れます。あれから今年で72年になります。
 油日小学校(全国どこの学校でも)には、創立から現在までその年々の重要な出来事
を記した沿革史が保存されています。終戦の年、昭和20年度の記録も残されているの
です。
 その主な記録を紹介します。(現在では表現に不適切なありものも存在しますが、当
時の生の姿をご覧いただきたいため、そのままで掲載します。)

昭和20年  4月5日  入学式勧学祭
         6日  始業式學徒勤労動員出動(高二女)
        11日  木炭搬出(初六男)水害復旧奉仕(高男)
        15日  高嶺農場手入
        16日  動員學徒壮行式
        29日  天長節拝賀式挙行
       5月5日  本校創立記念式挙行
         6日  休空地利用分団別作業
         8日  養鰌校内研究会開催※鰌:ドジョウ
        18日  軍馬鈴薯畑除草手伝(初四以上)二日)
        21日  各分団決戦大豆播種作業
        26日  米英撃滅祈願祭(於油日神社)
        31日  伊東助教諭現役召集ニテ本日新堂駅出発
       6月5日  軍協力(物資運搬)自油日至土山高二男
         6日  松脂採取挺身初六以上非農家、稲荷校(注:疎開児童)
        14日  初五以上高嶺農場甘藷植え付け
          〃  初四、彼岸花球根採取
        22日  油日国民学校学徒隊結成式
        29日  慰問帳発送(日赤滋支)
       7月4日  戦時食研究会(初会)
         5日  決戦下ニ於ケル能率的授業鍛錬会
        17日  學徒隊分団中隊役員任命
        28日  水田中耕作業奉仕
      8月12日  大字田堵野護岸工事協力
        15日  終戦ノ詔書御下賜
       9月4日  動員學徒開田作業出動
        20日  戦争終熄報告祭
     10月12日  稲荷校送別學藝会
        22日  稲荷校児童疎開引上
     11月 5日  農繁協力第一期開始
     12月15日  國史教科書掛図類使用禁止
        27日  御眞影奉還
昭和21年     1月17日  昭和二十年度母親学級開設(七日間)
      3月 5日  廃禁教科書出荷
        18日  昭和二十年度修了式
 
 このように昭和20年の一年間を改めて見ていくとまさに激動の年であったことがわ
かります。
 8月15日の終戦までは、子どもたちは教室での学習より、食糧確保の作業や様々な
公共の復旧工事、さらに軍の物資運送等に駆り出されていることがわかります。さらに
緊迫する状況が7月頃からの記録から伺えます。油日村(学区)では都市の空襲は免れ
たものの、本土決戦の心構えやそれにむけての訓練が記されているのです。
 軍隊に召集されていく先生の記録もあります。
 それが、8月15日終戦後、世の中はガラッと変わります。まず、大阪から疎開して
いた稲荷國民学校の児童が引き上げがあります。これまで使用されていた国史(日本の
歴史)の教科書や掛図類がすべて禁止され、3月には国史も含め発禁教科書の出荷が行
われています。また、講堂の前にあった奉安殿に祭られていた御眞影(天皇の写真)が
返還されています。とにかく、学校において戦争推進に関わったものは、すごいスピー
ドで排除されていく様子がわかります。
 太平洋戦争での死者は日本では約310万人(戦闘員230万人市民で非戦闘員80
万人)と推定されています。その他、負傷者、家屋の喪失や損壊など多数あり、まさに
日本歴史の中で未曾有の被害で、多くの尊い命を奪った戦争でした。そして、これまで
人々が勝つと信じて指示に従い、必死で行動してきたことが、8月15日をさかいに、
180度変更された方針となっていくのです。
 「この世界の片隅に」の主人公すずが、終戦直後に「今まで、やってきたことはなん
だったんだ!」と激しく叫ぶシーンがあります。
 戦後72年、多くの先人のご努力のおかげで我が国や我が郷土も復興し、一度も他国
と戦争することもなく,今日があることに感謝したいと思います。それとともに常に時
代の潮流に翻弄されていく人生が個人にも家族にもあることを、「この世界の片隅に」
の映画や油日小学校(油日国民学校)昭和20年の沿革史は静かに語りかけています。
 

 昭和16年度~昭和42年度の沿革史。まさに戦中から戦後の記録が刻まれています。

  太平洋戦争(第二次世界大戦)で亡くなられた方々を供養するお墓
    ※極楽寺(各お寺にこういったお墓が建立されています。)

  講堂前にあった奉安殿(※左側の建物)戦後すぐに取り壊されます。